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情報の受取手としての責任を考える

このところウェブサイトやブログを読んでいて、感じること。
それは、非常にマーケティングを意識した個人サイトが増えてきた、ということ。

きっかけは、とあるカウンセラーの人のウェブサイト。

個人的に幡ヶ谷で起こった事件が気になっていたので、色んな情報を検索した結果検索の上位だったこのサイトに行き着いた。

関連した情報を一通り見て感じたことは「なんとまぁ、偏ったカウンセラーだな」ということ。
自分(の職業やウェブサイトに)に有利な情報なのか、被害者をあくまで「被害者然」たらしめる記述。書籍まで出している人なのに、自分のブログにとって価値のある結果に結びつけようとする短絡さと強引さが、非常に気になった。
が、こういう考え方や、やり方もあるのだろう。

こういったサイトを見かけることが増えたことで「情報の受け手としての目をきちんと持たなければいけない」という思いが、ますます強くなった。

テレビでも新聞でも雑誌でもブログでも何でもそうだと思うけど、情報を発信する側には「何らかの目的」があって、その目的を達成するために情報を発信している。

そういったことを踏まえて、情報を受け取る側が「情報をきちんと判断する」ことが最近とくに重要になってきていると思う。

ほかにも、最近話題になった「あるある大辞典」。
番組のスポンサーが降り、制作会社の社長が辞任においやられた後、親会社の関西テレビ社長の辞任がささやかれるほど、苦情が絶えないらしい。

それは何故か。「信じてやっていたのに、だまされた」と視聴者が放送局への苦情を送るというのだ。
(昨日の時点で、電話、FAX、メールによる苦情が3500件!)
ここでの、情報の受取手側の「自分がその番組や情報を信じて⇒実行した」という事実はどこへ行ってしまったんだろう。また、本当に「納豆ではヤセない」のかな。

こういった苦情を送る人というのは、情報について自分で調べることもなく、鵜呑みにし、その結果「騙された!」と被害者ぶるということについて、本当に考えてみたことがあるのだろうか。

世の中には、数多くの情報が存在する。
どの情報を信じ、どう判断し、その結果何を実行するかは、その人自身の問題であり責任である。

情報の発信者側が自分の情報に責任を持つことは当たり前だが、情報の受取手も、自分の「情報をみる目」を磨き「判断する」ことをもっと鍛えるべき。そんなことを思った1日でした…。

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